串木野の小型和船(帆船)


--- 薩摩型和船・薩摩ミヨシ型和船 ---

串木野の小型和船(帆船)




   


  -----  プロローグ  -----



  昭和35年頃まで、串木野の五反田川の河口の砂州には、帆船が帆柱を列べていた。
  夜明け前に出帆した船は午後になると、帆に風をはらませて疾走して帰って来る。
  河口の入口で、すーと帆桁を下げて、その勢いで舵を操り、岸に正確に近づき、
  すばやくもやいをとっていた。
  船乗りは、ねじりはちまき、夏は上着に褌一つ、冬はドンザを着込んで腰巻き姿、
  赤銅色の顔が漁師としての誇りさえ感じさせる。
  船乗りの女房は、船が見える前から岸に立ち、桶を持って船が着岸すると、魚を選り分け、
  天秤棒で担いで近くの市場に運んで行く。
  天気の良い日の港(河口)での風景であった。


  
  


  
  
  串木野市漁業協同組合創立100周年記念誌より掲載

 筆者は、小さい頃、串木野の五反田川河口で舫いをとっていた小型和船を再現したかった。
 この和船について、船大工の技術が記録として残っているものが少なく、船体模型は
 串木野市立図書館に展示されている。
 串木野での小型和船(帆船)は、明治後期から昭和30年代の頃、祖父(南竹 善吉)や
 父(南竹 纓二、畑山 栄蔵)が漁労をしていた一本釣り和船について纏めた資料である。

 いろんな細かい操船方法や結索法や漁具、漁労など良く分かっていない。
 いろんな情報や資料をこのページをご覧になった方々にお願いしたい。

                                                     南竹 力
 

目     次



  1.串木野の小型和船の特徴

  2.帆 走 図

  3.船体・艤装

  4.舵 ・ 帆

  5.漁   労

  6.和船の構造と造船技術



資料1. 串木野で最後の薩摩ミヨシ型和船といちき串木野中央図書館ロビー展示資料に見る帆・艤装
                                                  (鹿児島県いちき串木野市)

資料2. 出水の桁打瀬漁にみる帆・艤装  (鹿児島県出水市名護港)

資料3. 天草地方の薩摩ミヨシ型和船  (熊本県牛深市「うしぶか海彩館」)

資料4. 「笠沙恵比須館」の展示資料に見る和船・漁具    (鹿児島県南さつま市笠沙町)

資料5. 薩摩川内市での薩摩ミヨシ型和船の建造と進水式   (鹿児島県薩摩川内市高江町)

資料6. 日南市油津の「チョロ船」     (宮崎県日南市)

資料7. 五和歴史民俗資料館の展示に見る和船    (熊本県天草市)

資料8. 下甑郷土館の展示に見る和船    (鹿児島県薩摩川内市下甑町)










Index
1. 串木野の小型和船の特徴



【串木野の小型和船の特徴】

 串木野での一本釣り和船は、従来の大和型和船とは、船体構造はほとんど同じであるが、甲板を
 設けたり、肋骨を挿入したりて、改良が加えられている。また、動力は帆走のみであったが、
 だんだん機械化が進み機帆船として発達してきた。

 大正の頃より船体は改造され、「スイタ張り」から「デッキ張り」となり、
 デッキには物入れの箇所はサブタ(蓋)が設けられ、ロープや道具(ショドッ)はこれに収められ、
 雨や波しぶきも入らなくなり、荒天でも安全な航走ができるようになった。

 特に、帆の構造、帆走の仕方については、南九州、日向、天草地方について、同様のものが見られる。
 それぞれ、地方の海岸地形や漁法に合わして独自に発達してきていて、地方の特徴を持っている。
 明治以降の西洋の帆布も輸入され、西洋帆の技術が取り入れられていると思われる。
 
 帆は、西洋帆船のラグセイル(lug sail)の帆形にも良く似ている。
 帆は前後2枚の帆、追手風の時はヤ帆(矢帆・弥帆)も使われた。
 帆布は麻織布から、キャンバス(綿織布)が使われるようになった。

 櫓を主としている和船は、五丁櫓、三丁櫓で漕ぐため、ウワダナと台(ダイ・デ)の間のヌキに
 櫓床(ドドコ)が付けられる。また、船体長/船体幅を大きく、戸立幅/船体幅が小さく取ってるので、
 スマートな船形になっている。従って、船体抵抗も小さくなる。
 串木野の一本釣り和船は船尾に櫓一丁を持ち、帆走を主としていため、櫓漕ぎの船に比べて船体幅が広く、
 戸立幅も広く取ってある。また、幅を広げるためダイを付け、波返しの板を張り、甲板状になっていた。
 帆走時の風に対する安定性を重視することと、作業性を確保したと思われる。





 和船は繋留場所が砂浜であったため、舵やスクリューの取り付けに工夫がされていた。
 南九州の小型和船は、漁師の漁労の方法、その漁港の地理的条件や船大工の造船技術に
 よって、少しずつ独自に発達してきていている。
 したがって、それぞれの地域での和船の資料を収集することは大変興味深いことである。






【ミヨシ】

 ミヨシとはミオシ(水押し)から転じたものであり、船首、舳先のことである。
 ミヨシはミヨシ先端部の突き出しの形状やミヨシの面積(幅)、傾斜(角度)が地域よって違い、
 その呼び名も違う。
 呼び名については地域の名前で呼ぶこともある。
 船足を速くする船の場合はミヨシの傾斜は毎面に対して浅くなり(インコロ型)、
 風に対する横流れ、切上がり(タッキング)等を重視する場合はミヨシの傾斜は深くなり、
 ミヨシ幅も広くなる(サツマ型)。

 串木野の小型和船の船首材(ミヨシ・ステム・バウ)は、板状になっていて、船横からみても
 広い。たぶん、これは、キールを持たない和船では、船首(バウ)と舵(ラダー)を組み合わ
 せて風による横流れを防止するのと、帆にかかる風圧中心による船体の回り(ヘルム)を押さ
 えているのではないだろうか。

 串木野の多くの小型和船に船首に斜檣(バウ・スプリット)がみられる。しかし、斜檣は船首
 より、小さいスプリットが少し突き出しているだけである。西洋帆船でいうバウ・スプリット
 とは少し趣が違う。
 西洋帆船の場合、なるべく帆の面積を大きくとるために、ジブセール(三角帆)を多くつけ
 るために取り付けられている。
 小型和船の場合は板状になった船首材の補強と前帆柱(前檣)を支える「ハンズ(フォアス
 テー)」を縛るために使われているようだ。



ミ ヨ シ




【和船のヘルムとヒール】

 串木野の和船のミヨシは、板状になっていて、船横からみても広い。また。舵も広くつくられている。
 帆は通常は2枚が多い。その他に矢帆、三角帆などを付ける場合がある。
 現在のヨットの三角帆の場合、1枚帆で、風圧の中心がマストよりも離れているため、ヨットは風上側に
 回転しようとする。(ウェザーヘルム)そのため、舵を使って保針しなければならないが、舵を効かす
 ことは大きな抵抗になり、船足が落ちる。
 また、帆の展開によってはその逆の状態、風下に回転しようとする場合もある。(リーヘルム)

 和船のそれぞれの帆はマストの中心に近く、2枚帆になっていて、船体全体にかかる風圧の中心は
 船体の中央部にあり、ヘルムが起こらない。ヘルムによる回転を舵に頼らないので、舵は大きくても
 抵抗にならなかったのだろう。
 風上に進む場合、(タッキング) 後述する舵の挿入角度によって、ヘルムを押さえて切上がり性能を
 向上させている。
 ミヨシと舵の喫水下の面積分が船体のヒールを防ぎ、かつ船体の横流れ少なくしている。







 和船はヨットのようにヒールして、帆走するようには設計されていない。

 特に南九州地方の和船は外板(ソトイタ・ナカイタ)から160〜250mm幅の出っ張り(ダイ・デ)があり、
 最大復元力は20〜25°程度であり、35〜40°以上になると海水が流入する。
 急なヒールにより、海水が流入した場合、船内から海水を排出するのは大変な作業であったと思われる。
 デッキ張りになり、排水口を設けたりして、海水の流入を防ぐことができるようになった。
 もともと漁師は地元の気象に熟知していて、早めに縮帆し、安定して帆走したことだろう。
 水面下におけるミヨシと舵の面積の広さは、突風などによる風圧の変化を防ぎ、急なヒール押さえること
 ができた。





【機 帆 船】

 戦後、小型和船も機械化が進み、速力も増し、風力だけの操業からすると、安全、かつ迅速に
 漁労に従事することができるようになった。燃料の節約も兼ねて、帆走のみの場合は、プロペ
 ラシャフトにユニバーサルジョイントつけて、シャフトを曲げて、スクリューを根板の内側へ
 納め、帆走時の船体抵抗を少なくするようにしていた。また、砂地へ繋留するときはスクリュ
 ーを痛めないようにするため、同様にスクリューを根板の内側へ納めていた。



機 帆 船




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2. 帆 走 図





--- 船首から見た帆走図 ---








--- 船尾から見た帆走図 ---








--- 船体の横から見た帆走図 ---



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3. 船 体 ・ 艤 装




和船の構造は底板(カワラ)、舷底板(ネイタ)・舷側板(ワキイタ・ナカイタ)と
呼ばれる板を接合し、船梁(ヌキ・ハリ)で補強した構造になっている。
船梁の下には、仕切りと船体の補強を役目をした。戸立て(トダテ)という、厚めの
板を形に合わせて固定してある場合もある。
串木野の薩摩ミヨシ型は舷側板の上部に張り出した上部舷側板(デ、ダイ)があった。
乾舷を高くすることができ、波返しの役目と甲板の面積を広くとることで船上での作業性を
良くすることができたのだろう。


(三丁櫓、五丁櫓で帆走を補助とする和船ではダイ(サシイタ)とワキイタの間に隙間があり、
 櫓を差し入れて、漕ぐようになっていた。串木野本浦の小型和船では、櫓は船尾に一丁で、
 ダイとワキイタの間は、板で仕切られ、海水が入ってこないような構造になっていた。)
カワラ(船底)には、船底に沿って2〜3本の「打付けスラシ」を取り付ける場合もある。
 河口で着底した場合や揚げ降ろしの場合の船底の保護するためである。

船首を「オモテ」、船尾を「トモ」、左舷を「トリカジ」、右舷を「オモカジ」と呼ばれる。
船首の舷側板から1尺程度出たヌキに八頭(ヤツガシラ)と呼ばれる飾りが付けられていた。
船大工は船主の好みに応じて、ミヨシに彫りや船首部の帆棚の部分に飾りを入れたりしていた。

中帆柱の上部には、金具が付いていて、帆の上桁がハンズに引っかからないように、
工夫されていた。




船首材(ミヨシ・ステム)は、板状になっていて、船横からみても広い。
たぶん、これは、キールを持たない和船では、船首(バウ)と舵(ラダー)を
組み合わせて風による横流れを防止するのと、帆にかかる風圧中心による船体の回り(ヘルム)を
押さえているのではないだろうか。
串木野の薩摩ミヨシ型(薩摩型)は船首に斜檣(スプリット)がみられる。しかし、斜檣は船首より、
少し突き出しているだけである。
板状になった船首材の補強と前檣への「ハンズ(フォアステー)」をとるために使われている。






帆柱はツツ(筒)と呼ばれる台座に固定する。
大檣(艫帆柱)を倒すときは舵床の上の「立ち(タチ)」に立てかける。
帆走を主とした串木野の和船は、大きなツツの中に帆柱が入り込むようになっていた。




帆柱と帆桁の位置は追風で観音開きにした場合、帆桁が帆柱の風下になるように固定させている。
帆桁は帆柱に「挟ん竹」と「うち回し」によって、自由に回転できるようになっていた。
「うち回し」は下帆桁(ブーム)に付けられているが、船によって取り付けない場合もある。

舵床は船体構造の一部ではなく、床押さえによって固定されているので、
舵穴が消耗したときは交換する。舵穴にはグリースなどが塗られる。

船体は船梁(はり)によって仕切られ、船首より、ドウノマ(胴の間)、
ツッノマ(次の間、筒の間)、トモノマ(艫の間)と呼ばれていた。




船体の喫水線下は石油系の塗料が無い時代は、フカ油を塗って、木材の煤を擦り込んだり、
船底塗料としていたようである。コールタールも使われていた。
また、船底についた貝殻などを取るのと船虫退治に船底に満潮時に枕木(ジン、スラシ)を敷き、
干潮になってから、松葉(アヤ)を集めて焚き、船底の手入れを行っていた。
雨などが長く続いたりした場合は、簀の子の下に溜まったアカをくみ出す。
いつも、船体の防腐のために塩抜きになった船体には塩水をかけておくことが必要だった。
その後、オンデッキ構造(デッキ張り)になり、石油系の塗料を使うようになってからは
手入れも楽になってきた。




ロープ(綱)を止めるところは、左図に赤印で示したように、
帆柱のツツ(筒)、貫木、舵床に、ピン(木栓)が付つけられるようになっていた。
舵床や帆柱のツツ(筒)は固定したピンになっており、貫のピンは取り外しが
できるものもあった。
操船時、足などを引っかけないような安全な位置にあり、ピンは短かい。


 







船は砂州に係留することが多く錨は片爪錨(片手錨)を使った。
これは潮が満ちているときなるべく岸に近いところに、錨を打ち係留する。
次に入港してきた船が錨の位置に係留した場合、干潮になったとき、両爪錨だと、
その錨の上に船体が乗り上げてしまうので、相手の船体が傷ついてしまうことになる。
そのため、片爪錨となった。




片爪錨(片手錨)              スラシ、ジン




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4. 舵 ・ 帆



舵(ラダー)の水面下の面積は現代のヨットに比べて広い。センターボード、フィンキールを
持たない和船の場合、横流れを防ぎ、風上への切り上がり角度を大きくとるためには必要であった。
舵は船にとっては、最も重要な部分であり、舵が壊れることは、漂流や遭難を意味する。

舵床は風上に進むときするとき(クローズホールド)、風下に下るとき(ランニング)と
舵の挿入位置(舵穴)が違っていた。それぞれ竪舵、流舵(引き舵)という。
竪舵の場合、舵の水中部の中心点が深くなり、船体のヒール(傾斜)を押さえ、
その中心点が船体寄りになることで、ウェザーヘルム(進路が風上に向かう状態)を
少しでも改善できる。
また、流舵の場合、水中での舵の抵抗が減り、船足を速くすることができる。

舵柄(カッカ・ティラー)は舵のはめ合いの部分で曲がっており、竪舵、流舵でも舵柄が
上下しないで繰船できるようになっている。
舵床は松材などで作られていて、船体の一体の構造物としてでなく、取り外し可能なように、
船体にははめ合いとなっており、床押さえで固定されている。
舵と舵床の接触部は松脂油を塗って、摩擦による磨耗を防ぐと共に、適当な締まりで舵が
動かないようになっている。
舵は樫材を使い、その形状や大きさによって、船足や切り上がり角度に大きく左右する。




串木野の小型和船の帆(セール)は、日本の大和型和船に見られる横帆の帆形とは違い、
西洋のラグセイル(lug sail)に近く、帆の前縁(ラフ:luff)より後縁(リーチ:leech)が少し長い
不等四辺形であり、下帆桁(ブーム)は帆柱に対して前寄りに固定されている。
また、江戸時代の絵巻物などに出てくる琉球帆船の帆形に近い。
しかし、どの時代でそのような帆形になったのかはわからない。
明治以降に西洋帆船の技術も導入されたのではないかと思われる。
帆布は縦に縫い合わせ、帆の端は縄(ヨマ・ロープ)が縫い込んであった。
帆の上部の形状は風を流す方向に広くなっているのは、弱い風でも十分帆に捉えることができる。

帆布の下縁幅と上縁幅は同じであり、その本柱の幅は船体幅の1.1〜1.3倍程度であり、
帆布の高さは下縁幅の2.3〜3倍程度である。

船体長6〜7mの船(船幅2〜2.2m)で帆の下縁(フット)の幅は
本帆柱2.5m程度、中帆柱1.8m程度であり、
帆の長さは上縁前隅(スロート)でフットの2.2〜2.6倍程度、
上縁後隅(ピーク)が上縁前隅(スロート)より10〜15%程度長いことが
記録写真等から推測される。






帆桁にはすべて竹を使い、上帆桁(ガフ)、中帆桁(2〜3本)、下帆桁(ブーム)を帆に固定し。
帆桁には縮帆用縄(リーフポイント)が付けられていた。
下帆桁には”うち廻し”という木を数珠のように縄を通したもので帆柱に廻して固定する。
中帆桁には”はさん竹”とう竹を割って弓状にしたもので帆柱を挟み、風によって、
帆柱から離れるのを押さえる。

地域によっては、下帆桁(ブーム)がなく、帆の下端(フック)にロープ(シート)を付けて、
帆を左右に展開していた。





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5. 漁  労



【キャビン】


和船のデッキはほとんどが板張りであり、キャビン(居住空間)はない。
小さな近海漁の和船は必要なかったのだろう。
もともと漁師は時化たときは漁に行かないので当然のことである。
漁師は、空模様や気温、風の動きを見て、その地域の天気を精確に予報できた。
数昼夜を要して漁場へ出かける比較的大型の和船にも特別なキャビンはない。
「とま」と呼ばれる簡単な簾を立掛けて、夜露を凌いでいる。
「トンコツ」(枕箱)と呼ばれる枕と「ドンザ」を着込んで寝る。
「トンコツ」とは煙草入れのことであるが、枕箱にして身の回りのもの
を入れていた。
和船に風雨を凌げるキャビンがあれば、その漁労区域も広がった
ことだろう。


 船倉の利用区分である。帆棚(ホダナ)は、ロープや
 帆などを格納する。
  
  一本釣りの小型船は桶にムシロを敷いて角氷を置き、
  更にムシロをかぶせて、出漁していた。
  数日間の漁をする船は氷室に同様にムシロを保冷に使って
  いた。
  
  漁労・漁法によっては胴の間(ドノマ)にイケスを持っていた。
  船体の重心位置であり、イケスに海水が入っても、
  前後のバランス(トリム)が変化しないようにしてある。
  イケスは、布を巻いた木栓を使っており、
  穴径はイケスの容積によって、海水の出入りが自由に
  できるように工夫している。
  
  機帆船は、船体の重心位置にエンジンが据え付けられていて、
  エンジンのクラッチや回転数を調整するノブに、
  長い棒を付けて遠隔で漁師は艫の舵柄(カッカ、ティラー)
  の近くから操船する。
  
  艫の船倉は漁師が一番使う場所であり、炊事道具や
  釣り道具など生活道具が納められていた。
  
  
  





【漁労海域】

小型和船の場合は1日で帰港できる海域に限定される。
夜明け前に出港して、15:00過ぎには帰港している。

陸風や海風の具合によって、漁師は帰港時間を見計らっていた。母港にも冷蔵施設のない時代、
和船の魚の氷保存時間と市場での売りさばきを考えると、早めに漁労海域から帰る必要があった。

時化や1日で帰港できない場合は、漁場に近い港、島影や海岸近くに錨泊していた。
小型和船の場合は1人か2人の乗組みであり、通信手段を持たないので、家族は港で
心配しながら帰港を待っていたことだろう。

魚種や釣道具は、海底の地形・地質や水深・海流、季節による風・気温で大きく変わる。
吹上浜から串木野にかけての西海岸の海底は砂質であるが、所々に海底に岩礁があり、
曽根(魚礁)となっていた。曽根の周辺は魚が多くいるので、山当てで場所を特定していた。
また、帰港して漁の多かった漁船に漁場を聞いたり、次の出港の時にその船の後を追うこともあった。







【山当て】

父から良く言われたものだが、魚の当たりの良いポイントを見つけたらまず山を見よと、
山と山の重なり具合、岬との角度などによって、釣れる場所を覚えておくことだ。
つまり交差方位法(トランシット)で自船の位置を知る。正確な方位角を測る計器を
持たない時代の知恵である。
串木野沖で、以下のような目印になる山や岬、島で合ったろうと推測される。

 ・弁財天、愛宕山、白左衛門ケ丘、火立ケ丘、冠岳、唐船塚、遠見番山、
  矢筈山、諸正山、金峰山、野間岳、桜島、開聞岳、紫尾山

 ・羽島崎、長崎鼻、戸崎鼻、野間岬

 ・沖小島、甑島、久多島





  【ト マ】



茅を数本束ねて麻縄で編んでつくる。編んだ面の反対側は簑と同じような作りで、
水が編んだ面に流れ込まないようになっている。厚めで一畳程度のトマは
冬の北風が強いときの漁労時の寒さ除けになり、波浪が高いとき、差し板に
立てかけて波のしぶきがかかるのを防いだ。また、夏の日差しを遮り、雨除け
にもなっていた。船上では便利な道具(ショドッ)の一つである。



【気象予報】

筆者が小学校に通う頃、父は西の空と海鳴りの音を聞きながら、
今日は雨が降るから傘を持っていけと言われ、本当に予想通りだったことを
覚えている。ラジオの気象予報よりも正確であった。
漁師は、長年の操業経験や先代から伝承により、さまざまな気象を熟知していた。
朝焼け、夕焼け、雲の形、気温、湿度、風の強さ、潮風の匂い、海岸の地形による
海鳴りなどを六感を使って判断をしていた。
漁師は、三時頃から床より起き出て、何時も決まった場所(川口)に集まり、
海鳴りを聞いたり、古老の予報を聞いてから出漁する。
漁を終えて、船の舫をとると、朝と同じ場所に集まり、釣果や明日の天気を
お互いに予報する。



【釣りの所作】

同じ漁場で漁師の釣りの所作を見るとどこの港(浦)から、来た船か良く分かるという。
それは、釣り道具の仕掛けにも一因するが、漁師の道糸(ナワ)のしゃくり方がそれぞれ、
港(浦)によって違うらしい。どのようなしゃくり方だったのか今知る由が無い。
テグス道具はドギ(ドッ)といい、それぞれ自分流に工夫する。(ドッつくい)



  
からと・( はさん、やっとこ、くれき )





【餌入れ(エッバン)】

漁師は時化や沖に出れないときや漁労が終わった後、川口や磯に海老取りに出かける。餌籠と
タモ(ゴタッ)を持って行く。また、夫が漁労中に漁師の妻が海老取りをしたり、餌用に貝堀り
をしたりする。活き海老は「エッバン」と呼ばれる竹に小さな穴をたくさん開けた筒に入れ、
朝、出港するときに、艫にヒモを付けて「エッバン」を引っ張って走る。



  
えっばん



【係留地】

船は干潮時に砂州になる場所を係留地としている。 一つは、天然の良港であったこと。
干潮時に船体が砂州に乗り上がるので、常時、海水に浸っているよりも比較的に海苔、
蛎などの海洋生物が付かない。干潮時に船体の手入れができるなどの利点があったのだろう。
しかし、干満の時間が出入港に合わないときは、出港時は船を河口に移動したり、干満に合わせて
係留地を変えなければならなかった。
入港時も満潮になるまで沖合いで待つこともあった。




【漁労着】

船乗りは、ねじりはちまき、夏は上着に褌一つ、冬は「ドンザ」(さしこ着)を着込
んで腰巻き姿でズボン類ははかない。
入港時は川口で帆を降ろし、干潮近くになると川底が浅くなるので舵を引き上げ、竹
竿を使って、船を川岸まで押す光景がよく見られた。竹竿で動かない場合は、船から
海に入って腰の下あたりまで浸かり、ロープを川岸まで引っ張って行く。
出港時はある程度、櫓の漕げる河口まで、竹竿などで移動し、海に出てから、帆を展
開する。
そのような時は褌姿が都合がよい、腰巻きは上にめくって腰紐に止めれば濡れなくてすむ。



【ドンザ】

「ドンザ」(さしこ着)は防寒用の綿入り半纏みたいなものだが綿は吸水性があるので使わない。
膝下まであり、木綿の生地で、船乗りの女房は、着物の端切れがあれば当て縫いをしていく。
やぶれを繕うのではなく重ね縫いをしていくのである。そうすることによって。
海水がかかっても、乾きが早く、保温が利いた防寒着になるのである。





【食 事】

早朝、空が白んでくる前には、沖へ出かけていたので、「ガエ」には、二食分の
ご飯が入っていた。水は一升瓶に入れて持ってゆく。また、「スイコガエ」には
汁物を入れて持ってゆく。「ガエ」の中には梅干し、漬物などが添えてあったことだろう。




  
がえ ・ すいこがえ



【ランプ】

小型和船の場合は朝早く出港して、夕方には帰港する。朝出かける時や夜の帰港、夜釣り等を
行う場合、今のような蓄電池(バッテリー)などのない時代は石油ランプが使われていた。

石油ランプはガラスとガラス保護の金属枠のついた外部カバーと内部ランプが取り付けられた構造に
なっていた。外部カバーと内部ランプの脱着は簡単にできる。 内部ランプ本体に点火して明るさを調整、外部の防護カバーに底部から挿入して、内部ランプを固定する。

カーバイトによるアセチレンランプが漁労に使用されているが、いつ頃から使われたのかわからない。
本浦地区では、旧漁業協同組合事務所の横に石造り倉庫があり、漁協でカーバイトを販売していた。

蝶ネジを緩め下部タンクと分離して、上部タンクに水を入れる。下部タンクにカーバイトの固まりを入れて、 ゴムパッキンを挟んで蝶ネジをしっかりと締める。
注水器(つまみ)を回すと上部タンクから水滴が落ち、カーバイトが化学反応し、アセチレンガスが
発生するので、火口より出るガスに点火する。
カーバイトの独特の臭いがするが二つの火口に火をつけるとかなり明るい。
雨風にも消えることはなく、調整すれば4〜7時間は点灯している。

小さい頃(昭和30年代)、六月灯や夏祭りの夜店はアセチレンランプを使っていて、揺れる炎の
明かりの中を歩き回ったことを思い出す。

              

               石油ランプ               アセチレンランプ




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6. 船 体 構 造



 和船の構造は船底板・航・敷(カワラ、シキ)、加敷(ネイタ、カシキ)・舷側板・
 棚(ワキイタ・ナカイタ)と呼ばれる板を接合し、船梁・貫(ヌキ・ハリ)で補強した
 構造になっている。
 下図に概略(推定)の寸法を記す。

 船幅が1.5〜1.8m(4尺〜6尺)の場合、
  ・船丈は船幅の約4倍
  ・トモの幅は船幅の70%
  ・カワラの厚みは1.7〜2.6寸(51〜78mm)、
   幅は中央で1.2〜1.4寸(360〜460mm)、トダテで7〜8.8寸(210〜265mm)
  ・ネイタ・ネイタの厚みは0.8〜1.2寸(24〜36mm)
   と推定される。




6−1. 船材と船大工道具


【 船材(木材) 】

  ・船  体 : 杉、松
  ・ミヨシ  : 檜、欅、椎、楠(曲がり材)
  ・梁、小縁 : 檜、松、杉 ・帆  柱 : 杉
  ・舵  床 : 松
  ・舵    : 樫
  ・櫓    : 樫、椎
 
  補強や用途に応じて 欅、椎、楠を使う。交通機関のない頃は、地元で取れる木材を調達していた。
  松、杉など地元で潮風に当たり、生育に厳しい環境にある材木が使われた。



【 船釘 】

  ・オトシ釘  :頭が小さい、板の接合などに使う
  ・カイオレ釘 :頭が三角 コベリなどを止める
  ・トオリ釘  :頭が大きい カジキ 上タナを止める
  ・スベリ釘
  ( 矧釘、縫釘、 )



  板の継ぎ合わせは、3種の鋸でノコズリをする。ノコズリ後、その面を小槌でたたいて「木ごろし」を
  行う。

  釘穴の間隔(釘間、心距)は、船の大きさによって異なるが、間隔は4.5寸、5寸、6寸、6.5寸の間隔で、
  ノミで四角形に彫り込み、ノコズリ、木ころしを行って、釘を打ち込む。
  彫り込んだ溝穴は堅木でコミセンをする。



【 鋸 】

  ・アラバノコ
  ・ナカバノコ
  ・コバノコ


ヒキマワシノコ

【 のみ 】

  ツバノミ :板の接ぎ合わせに用いるノミ
  (ヨコギリノミ、クギサシノミ、カタツバノミ)





【ネイタ・ナカイタの曲げ】

 ネイタ・ナカイタは厚みが1寸程度まではジキマゲ(直曲げ)するが、それ以上になると、
 外側から木屑を焚きながら、板に水を打ちゆっくりと曲げてゆく。
 

【カワラとの接続、コベリの取り付け】

  カワラは、オリの位置から10°程度、曲げるが、大きな船は2枚継ぎにする。
  オリの底部に5分(15mm)程度の逆三角形状の鋸目を入れて曲げ、
  樫などでセンをはめ込む。無理をすると割れるので、火で焙ったり湯をかけたりする。
  オリの曲げ方については、地域によって工夫がなされている。
  
  ミヨシとカワラの傾斜角度については、船の用途や櫓漕ぎ、帆走などによって、
  かなり違うようである。
  トダテは垂直に立てると、追い手の時に、波によっては、船内に水が入るので
  少し傾斜を持たせてある。





6−2.造 船 儀 礼



造船儀礼

  ・ツノダテ   :カワラをつくる前に行う。
  ・カワラズエ  :造船の最初の祭り、大安日で満ち潮の時にする。魚、塩、米、焼酎を供える
  ・ツツタテイワイ:ツツは帆柱を立てる台になる。
  ・フナオロシ  :大安日で満ち潮の時にする。船を押し出す前に山の方に押すことはしない。
           おろして3回まわって、餅をまく。
           フナオロシに供える餅は飾り餅2個、四方餅4個(祭りが済んで船を海に押し出す前
           に四方に投げる)投げ餅(進水してから投げる餅365個)


【船 霊 様】

  神 体   :男の子と女の子の髪の毛、サイコロ1〜2個、一銭玉12枚〜13枚(閏年)、塩、米
         ツツ(筒)のトモ側に長さ2寸8分、幅1寸2分、奥行き1寸の穴の大きさで埋め込む。





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ページの作成年月日:2007年3月1日
ページの更新年月日:2016年7月20日