天正15年(1587)5月、豊臣秀吉が大軍を率いて、既に川内川、川口に上陸したと
聞いた島津義久は焦土決戦を辞さない家臣達を慰留しつ、5月6日、従士十余名を引き
連れて鹿児島を発ち、途中、伊集院本通りの突き当たりにあった母の菩提寺雪窓院を訪れ、
境内にあった、この座禅石の上で髪を剃り、僧体となって、直ちに川内泰平寺に参向く、
秀吉に謁して降を請いました。
三州の旧領は維持することが出来ましたが、この剃髪石は敗戦の将義久の五内ために裂く
思いを偲ばせる記念の石で、永くこのような形で雪窓院跡に残されていたのを昭和63年、
ここに移しました。
日置市教育委員会
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