千秋山雪窓院と島津義久公剃髪石

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千秋山雪窓院


 


 島津義久・義弘・歳久の母で入来院重聡の娘である雪窓院妙安大姉の菩提寺である。
 妙安大姉は天文13年(1544)8月15日、一宇治城で死去されました。
 後年、子供3人が母の冥福を祈って建てました。
 開山は二珠林大和尚曹洞宗田布施の常珠寺の末寺で藩政時代は一百石を給せられました。

日置市教育委員会



島津義久公剃髪石



 天正15年(1587)5月、豊臣秀吉が大軍を率いて、既に川内川、川口に上陸したと
 聞いた島津義久は焦土決戦を辞さない家臣達を慰留しつ、5月6日、従士十余名を引き
 連れて鹿児島を発ち、途中、伊集院本通りの突き当たりにあった母の菩提寺雪窓院を訪れ、
 境内にあった、この座禅石の上で髪を剃り、僧体となって、直ちに川内泰平寺に参向く、
 秀吉に謁して降を請いました。
 三州の旧領は維持することが出来ましたが、この剃髪石は敗戦の将義久の五内ために裂く
 思いを偲ばせる記念の石で、永くこのような形で雪窓院跡に残されていたのを昭和63年、
 ここに移しました。

日置市教育委員会


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