「串木野のマグロ漁業を支えた 三九トン型マグロ延縄漁船」

昭和30年(1955)代に串木野のマグロ漁業に活躍した木造マグロ(延縄)漁船、特にいろんな法的な制約の中から建造された39トン型は串木野漁業の発展に寄与してきた。39トン型の建造の歴史的な過程、船の構造、漁労、船内生活も含め、その記録を辿ろうとしたが、木造漁船建造時の船図も無く、マグロ漁業史の中の数ページにとどまっている。遠洋漁業の基地であった「旧串木野市」に39トン型のマグロ漁船が活躍してきたことを記録に残そうと、39トン型のマグロ漁船に乗船経験がある元漁師を中心に聞き取り調査を行い、その内容をもとにまとめたものです。


郷土誌:
串木野のマグロ漁業を支えた 三九トン型マグロ延縄漁船
    (鹿児島大学リポジトリ・共通教育センター)


     【第1章 39トン型マグロ船建造の背景】
     【第2章 船体の構造】
     【第3章 延縄漁】
     【第4章 乗組員の船内生活】
     【第5章 出港・帰港】
     【第6章 遭 難】
     【第7章 労働争議】
     【第8章 マグロ延縄漁の発展】

                          (平成26年10月)



 
造船ラッシュ(昭和33年〜35年 岡下造船)

   
進水式

昭和32年、水産庁は「中型かつお・まぐろ漁業取締規則」の一部を改正し、
40トン以下のカツオ・マグロ漁業を自由漁業とした。造船技術の進歩により、
同じ公称トン数でも実際の積載能力は従来の船より20〜30%増加するように
なった。元々、近海で短期間の操業するために設計された船であるが、
積載能力を重視するあまり、船員の居住空間は無視された。
昭和37年、70隻余りいた39トン型木造マグロ船は、その後、大型化が進み、
昭和47年には串木野港から姿を消した。



 
出 港

積み込みを終え、漁場へ出港する。
大漁を願い、家族がテープで見送ると、船は港内を一周して、
汽笛を鳴らしながら、別れを惜しんだ。



   
操業中

投縄・縄待ち・揚縄:
揚縄には 12〜14 時間を要する。魚の食いが良い時や、
縄切れやエンジントラブル、時化の時は夜が明けてしまうこともあった。
その時は、寝る間もなく、次の投縄の作業に入ることが度々あった。




水揚げ

漁場が三陸沖や伊豆近海に移ってからは、清水港や焼津港で水揚げして、
何回か操業してから母港へ帰ってくるため、我が家への帰参は3ヶ月以上、
になることがあった。串木野への帰港ができないときは、家族が清水まで
会いに出かけた。




帰 港

数ヶ月ぶりにマグロ船が母港へ帰ってくる。子供たちは帰港時刻に合わせて、
父や兄の帰りを待っている。接岸すると赤銅色の懐かしい顔が目に浮かぶ。
岸壁では各家に配るマグロ・カジキを切り分け、緑色のパーチ(耐水紙)に
包んでゆく。漁師の土産は切り身や干しイカや塩辛などと汗の匂いの染み
ついた洗濯物だった。家に帰り着いたら風呂にゆっくりと入り、久しぶりの
一家団欒の食事を囲む。



写真資料:串木野市漁業協同組合、串木野市船主組合、岡下造船鉄工(株)


串木野の小型和船(帆船)
        串木野沿岸の一本釣り漁に使われた小型の木造和船について書かれています。

郷土誌:(PDF)
近海漁に使われた 串木野の小型和船
         (鹿児島大学リポジトリ・共通教育センター)

串木野今昔  (鹿児島大学リポジトリ・共通教育センター)


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ページの作成年月日:2014年 9月19日
ページの更新年月日:2026年 3月 3日