漁願(ぎょがん)相撲(串木野今昔) | 串木野さのさ | Main Page | 船名甚句・島平の相撲甚句(須賀の相撲踊り) |
恵比寿神社の奉納相撲 | |
写真提供(第三興洋丸 潟村氏) |
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毎年、七月になると出漁していた串木野のマグロ船は全船帰港する。串木野漁港がマグロ船でひしめき合う。恵比須神社に 大漁を祈願するための奉納相撲が行われるためである。 相撲大会前日、船乗りの家庭では、明日のお重に詰めるごちそうを料理するのに大わらわである。出来上がったお重は近所 にも配ってまわる。 当日は、港内の漁船は一斉に大漁旗を掲げ、相撲大会を盛り上げる。奉公に出ていた二十歳の娘達は、奉公先に暇をもらい 、相撲大会の接待役として花を添える。これは、若い船乗りとの集団お見合の場ともなり、多くのロマンスが生まれた。 近年、船員の減少、マグロ船が大型化、マグロの漁場が遠洋になったことで、帰港する船が少なくなり漁願(ぎょがん)相 撲も行われなくなった。 二才衆は、恵比寿神社よりご神体を神輿(みこし)に遷す儀式を行ない、それを担いで、相撲会場に鎮座し、奉納相撲がは じまる。競技の前にそれぞれの船の大漁旗を化粧回しにして、土俵入り、甚句の披露をする。漁願(ぎょがん)相撲の前日まで、波止 場では甚句を唄いながら、踊りの所作を稽古する風景が見られた。 |
相撲甚句 |
<前唄>揃う 揃うた 揃いましたあ〜あ 関取衆が揃うた 秋の出穂より まだ良く揃うた はぁ〜あ 船乗りさんには どこ見て惚れた 踊る甚句のよ 意気の良さ はぁ〜あ 串木野港に 舟が百杯(ぱい)着きゃ 帆柱も百本(ぽんぽん) 止まる烏も同じ百羽(ぱっぱ) 雀がチュ 烏がカア 鳶がほだね吹きゃ チンする する <出船甚句>眺めも清き恵比須が丘でよ 晴れの相撲を終えるならしばしの名残り別れをば 惜しみながらも船の上 見送る涙知らぬげに 笑顔で握る錨綱 五色のテープは風まかせ 別れの汽笛が身に沁みる 串木野港(みなと)を後にして 汐路遥かな三陸へ(インド洋) 白波けたてて幾千里 波を枕の夢かなし 鴎飛び交うその中を 昨日は東今日は西 逆巻く怒涛波しぶき この身は寒さに凍るとも 負けずに我ら元気にて 紅葉色づくその頃は 大漁旗立て帰ります どうぞ皆さん留守中は ご無事安泰いや栄え 今日の土俵で祈ります 今日の土俵で祈ります 写真提供(第一興洋丸 潟村氏) <入船甚句>夕焼け色どる南の沖はよ 満船大漁の旗立てて船足深く来る船は あれは串木野まぐろ船 長の航海さぞやつれ 逢いたい見たいは皆同じ 電波は飛ぶ飛ぶふるさとへ 波路(汐路)遥かに種子屋久か 浮き立つ島は数々の 煙たなびく硫黄ヶ島 風手にのぼれば日向灘 朝日に輝く桜島 北にそびゆる高千穂や 南遥かに眺むれば 姿うるわし薩摩富士 岬の灯台後にして 船路は急ぐ薩摩潟 火立ヶ丘の山々も 近くなるのか海鳥は 群くみながら飛んで行く ああ懐かしや串木野港 三月の旅路もつれづれに 無事に帰った嬉しさに 迎えるあの娘は 笑福えびす顔 明日の大漁夢見つつ 思いは同じおしどりの 愛と情との錨綱 愛と情との錨綱 <民謡甚句>お国自慢を甚句に詠めばよ 北は北海盆踊り津軽恋しやあいや節 八戸小唄で夜が明ける 今も昔も変わりなく 草木もなびく佐渡おけさ どじょうすくいは安来節 手拍子そろえて木曽え節 ヨサコイ節にはトンコ節 三井三池の炭坑節 東京音頭や舞妓はん 花笠音頭にゃ花が咲く 伊勢は津でもつ伊勢音頭 南国土佐の阿波踊り 博多祇園か黒田節 五島さのさのなつかしや ばってん熊本おてもやん 日向かぼちゃのよか嫁じょ ひえつき節には鈴が鳴る 三味や太鼓にはやされて じゃんじゃん踊るは鹿児島の がっついよかよかはんや節 お国自慢のその中で 港串木野本浦の 相撲甚句は日本一 踊れ大漁の旗の波 踊れ大漁の旗の波 <嫁入甚句>今日の良き日を甚句に詠めばよ めでためでたの高砂よこの浦舟に帆上げて 結び合わせて縁となる 金襴緞子の帯締めて 今日は嬉しやお嫁入り ほんにおまえは果報者 これもひとえに皆様の 厚い情けの賜と 受けたご恩の数々は 決して忘れるものじゃなし これから先の日暮らしは 幸か不幸か知らねども 永久に契りし、その上は 暑さ寒さに気をつけて 波風荒き人生を 互いに手を取り乗り切って りっぱな夫婦になるように 母は 両手合わせて祈ります まだまだ未熟なもの故に どうぞ皆様これからも 行く末永く頼みます どうぞ皆様 頼みますよ |
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