
五反田川河口には、夕方になると漁を終えた漁師達は川岸で日没の間、お互いに釣果を語らい、明日の天気を気にしながら、西の空を眺めている。
五反田川は鰻や蟹が沢山生息していて、筆者もよく釣りに出かけた。釣り竿とバケツを持って、河口で川原の手頃な石を持ち上げ、餌の磯ゴカイ(ミミズ)を取る。釣った鰻は夕げの食卓に上がった。たまに大きな山太郎蟹(やまたろがね)が掛かってくる。河口の上流には石ころを積み上げたり、木の枝(柴)を沈めて、そこに集まる鰻や蟹を捕る仕掛けがあちこちに設けてあった。
河口の上流には大きな中州があり、野球をしたり、相撲をしたり、子供達の遊び場であった。中州の端にはシオマネキ(たうっがね)が沢山いて、追っかけるとあわてて穴の巣に入り込む。たまに自分の巣を間違えて飛び出してくるのもいる。それを追っかけるのも楽しかった。満潮になる前に中州を出ないと膝上まで海水に濡れることになる。
対岸の野元の深田神社でガウンガウン祭り(豊年祭り)が行われるときは、部落の仲間で一緒に出かけた。神社までは本浦からは平江橋と野元橋を大きく迂回して行かねばならず、遠かったので潮合いを見計らって、中州を通って、五反田川を横切った。ズボンをできるだけ捲り上げ、靴は手に持って川を横切るのであるが先輩格が先に川に入り足場を探る。その後、身長順に渡り始める。たまに深いところがあり、ずぶぬれになることがある。季節柄、寒かったことを記憶している。
五反田川河口の中州(H27.10.23)
野元海岸
「竹製がねてご(かに手篭)」
堤 信行 -----いちき串木野市生福出身 -----
小学校時代から使った50数年前の竹製がねてご。昔の農村地帯には農具の入れ物はプラスチック製品は無く、ほとんど竹製で「バラ屋」(バラはリヤカーに積む長辺1m位の篭)で作って貰っていた。
30年くらい前に当時まだ存在したバラ屋さんに修理して貰ったが、現在ボロボロ(写真右隅の穴)でこのままでは使えない。
小さい頃は夕方、ガネテゴの中につぶしたタニシや米ぬかを田んぼの泥で混ぜたエサをシュロ皮で包んだ。
農村、子供にはなかなか手に入らないが、効果ある魚のアラがあればアラを入れ、川の流れが緩やかで大きな岩が多いところ、カニがいそうな場所に浅いところはパンツ一枚になり、
深いところは潜って、入口を下流に向けて流されないように手ごろな石を乗せセットした。
翌朝は岸につないだ「まぐれんよま」(水に強いマグロ延縄)を引いて篭を上げる、引き寄せる時の感覚で「今日は沢山入ってる」などワクワクするひと時だった。
蓋を開けると、カニがブクブクと泡を吹いていたのを思い出す。
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